【東日本大震災から14年】―あの日を忘れず、未来へつなぐために―

日常発信

2011年3月11日14時46分―東日本大震災から14年が経ちました。
あの日、日本は未曾有の大災害に見舞われ、多くの命が失われました。家族を、故郷を、大切なものを奪われた方々の悲しみは、時間が経っても消えるものではありません。

震災を経験した一人として、また、自衛隊員として被災地に駆けつけた者として、改めてこの日を迎えるたびに「何を感じ、何を伝え、これから何ができるのか」を考えます。

派遣参加の自衛官として

【岩沼市での炊事活動】ー自衛隊の一員としての役割

震災発生から間もなく、私は当時所属していた部隊とともに岩沼市総合体育館へ派遣されました。

当時20歳、自衛隊に入隊してまだ1年ほどの頃でした。

私たちの任務は、避難してきた方々への炊事支援でした。

水もガスも満足に使えない状況の中、大勢の被災者の方々に温かい食事を届けることは、決して簡単ではありませんでした。

今でもずっと忘れられないエピソードがあります。

ビタミン強化米は、当時栄養素の少ない食事に、少しでもビタミンを摂取できるよう混ぜて炊き上げていました。見た目が黄色いため、避難者の中には「自衛隊は腐ったお米を避難者に出して、お前たちは良い米食ってんだろ!!」と調理中に怒鳴られたことが何度かありました。

その度に説明をしているのですが、「嘘をつくな!」とまた怒鳴られ、本当に悲しい気持ちになったことを今でも覚えています。

私たちは、缶飯といわれる非常食しか食べることを許されていなかったので、温かいご飯は派遣期間中一切食べることはできませんでした。

それでも、「ありがとう」「おいしかったよ」と声をかけていただくたびに、「自分たちの活動が誰かの力になっている」と実感できました。

しかし、その一方で、瓦礫の下で救助を待っていた方々、避難所にたどり着けなかった方々のことを思うと、もっとできることがあったのではないかと悔しさがこみ上げる日々でもありました。

被災者の方々の辛さに比べれば、自分の疲れや寒さなど取るに足らないものだと当時も今でも感じています。

だからこそ、限られた環境の中で少しでも多くの方の力になれるよう、仲間たちとともに懸命に活動しました。

被災地の今

14年が経ち、被災地の風景は大きく変わりました。

インフラが整備され、新しい町が生まれ、震災を乗り越えた方々が前を向いて歩んでいます。

一方で、まだ復興が十分とは言えない地域もあります。

特に、福島では原発事故の影響が色濃く残り、避難したまま戻れない方々もいます。

私たちが今できることは何でしょうか。
一つは「忘れないこと」。

震災を知らない世代が増えていく中で、あの日の教訓を語り継ぐことが大切です。

現在の復興と、今できること

もう一つは「応援し続けること」。

震災直後は多くの人が支援に動きましたが、年月が経つにつれ関心が薄れるのは避けられません。

それでも、被災地の産業を支えるために東北の物を買う、旅行で現地を訪れる、復興支援イベントに参加する――そうした小さな行動が力になります。

私も先日、福島復興イベントの出張販売で、地元の特産品を購入させていただきました。

左:(株)郡山銘飯 さま 「えごまにんにく」 https://amzn.asia/d/gsMOWPL
ごはんにのせて食べましたが、とにかくご飯が進みます!少しピリッとしていますがどんどん進みます。

右:吾妻食品 さま 「うまくて生姜ねえ!!」https://amzn.asia/d/eN9qwL4
こちらもごはんにとてもよく合います。これで豚生姜焼きを作るとめちゃくちゃ美味しいです!!

震災の記憶を未来につなぐために

災害はいつ、どこで起きるか分かりません。東日本大震災の教訓は、私たち一人ひとりの防災意識にも生かすことができます。
・非常時の備蓄は十分か?
・家族と避難場所を確認しているか?
・地震が起きたら、まず何をすべきか?

これらを考え、備えることで、大切な人の命を守ることにつながります。

おわりに――被災地への想い

震災から14年。
長い時間が経ちましたが、あの日の記憶は決して風化させてはいけません。

被災地の皆さんの歩みをこれからも見守り、応援し続けます。
そして、あの日の教訓を未来へつなぎ、いつかまた大きな災害が起こったときに、少しでも多くの命を守れる社会にしていきたいと思います。

今日という日を、ただの「過去の出来事」としてではなく、未来のための一歩として過ごせたら――そう願っています。

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